カズオ・イシグロさんのデビュー小説『遠い山なみの光』が映画化されました。
原作の静謐な世界観を大切にしながら、映像ではあえて語りすぎない余白が残されています。そのため、観る人の想像力が大きく試される作品です。
わかりやすい説明や派手な演出を求める人には、戸惑いがあるかもしれません。私はむしろその余白に惹かれました。
作家自身の人生が重なる物語
この作品は、長崎に生まれ、幼少期にイギリスへ渡ったカズオ・イシグロさんの人生そのものが反映されているように感じられます。日本とイギリスという二つの土地を行き来しながら、戦争の記憶と向き合う物語は、彼自身の「ルーツ」と深くつながっています。
戦後80年を迎える節目にこの映画が完成した。そのことについて、イシグロさんのコメントが映画の公式サイトに掲載されています。
物語そのものは、第二次世界大戦の惨禍と原爆投下後の、急激に変化していく日本に生きた人々の、憧れ、希望、そして恐怖を描いています。今もなお私たちに影を落とし続けている、あの忌まわしい出来事の終結から80年を迎えるこの時期に、この映画が公開されることは、なんと相応しいことでしょう。
作品を通じて、戦争を経験していない世代にも静かに問いかけたい、という思いが込められているのだと思いました。
長崎とイギリス、二つの軸で静かに進む物語
映画は、1950年代の長崎と1980年代のイギリスという、二つの舞台を行き来します。戦後の長崎での女性たちの生き方と、30年後のイギリスでの回想が交差することで、時を超えてつながる「記憶の重さ」が描かれていました。戦争や被爆の映像は一切登場しませんが、過去を抱えて生きる人々の姿を通して、その影が確かに伝わってきます。
画面には日常の風景が穏やかに映し出されるだけです。しかしその日常の隙間から、被爆によって人生を狂わされながらも懸命に人生を模索し、前を向こうとする女性たちの姿が浮かび上がります。声高に語られないからこそ、さまざまな思いが膨らんでいきました。
広瀬すず・二階堂ふみ・吉田羊、それぞれの存在感
物語を支えるのは三人の女優たち。広瀬すずの透明感あるまなざし、二階堂ふみの芯の強さと揺らぎ、吉田羊の静かで深い存在感。
とくに印象に残ったのは、広瀬すずさんと二階堂ふみさんの対話シーン。二人が対峙しているようでありながら、どこかで共感し合っているような空気が漂います。表情の変化やセリフの言い回し、緊張感と共鳴の入り混じった独特な雰囲気に魅了されました。
吉田羊さんは広瀬すずさん演じる悦子の30年後を演じています。二人の顔立ちに似た面影があり、世代を超えてつながる役柄に違和感がありませんでした。
さらに驚いたのは、吉田羊さんのセリフがすべて英語であること。もともと英語が話せなかったそうですが、この役のためにイギリスへ語学留学し、撮影にのぞんだそうです。その努力がスクリーンの中でしっかりと実を結び、海外に暮らす悦子の姿に説得力を与えていました。
答えではなく、問いを残す映画
『遠い山なみの光』は、決してわかりやすいドラマを提示する映画ではありません。だからこそ観る人一人ひとりの想像力が呼び覚まされ、観終わった後も静かな余韻が残ります。
私にとっては、「答えを与えられるのではなく、自分の中で問いを育てていく」ような体験でした。
☆ランキングに参加しています。ポチっと応援していただくと嬉しいです!

にほんブログ村