映画『急に具合が悪くなる』を鑑賞しました。
パリ郊外の介護施設で施設長として働くマリー=ルーと、日本人の演出家でがん患者の森崎真理。同じ響きの名前を持つふたりの、偶然の出会からはじまる物語。
衝撃的な展開があるわけではないのに、196分という時間があっという間。マリーと真理の対話に引き込まれ、ずっと聞いていたいと思ってしまいました。

映画の原作
原作は、哲学者の宮野真生子さんと人類学者の磯野真穂さんの往復書簡集。映画では、この原作のエッセンスを大切にしながらも、主人公をフランス人のマリーと日本人の真理に変えて、パリを舞台にした新たな物語に移し替えています。
監督・脚本は、『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞 国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督。『ドライブ・マイ・カー』は3時間を超える作品でしたが、『急に具合が悪くなる』も196分、3時間を超える作品になっています。
主要キャスト
マリーを演じるのは、フランスを代表する俳優のヴィルジニー・エフィラさん。真理を演じるのは、トップモデルから女優に転身し国内外で活躍する岡本多緒さん。ふたりは本作で、カンヌ国際映画祭 最優秀女優賞に輝いています。
そのほかの主要な役として、真理が演出する芝居の俳優・清宮吾朗に長塚京三さん。清宮吾朗の孫で自閉スペクトラム症の智樹を黒崎煌代さんが演じています。
この4人がとにかく素晴らしい! 演技とは思えない、互いへの強い信頼が伝わってきました。
この作品を観て感じたこと
この作品を鑑賞している間は、これまで経験したことのない、なんとも不思議な感覚のなかにいました。
スクリーンの中にいる感覚
役者さんたちの演技が自然だからか、まるで自分もスクリーンの中にいるかのような錯覚になります。映像の構図も、そのように感じるよう工夫されているような気がします。
だから196分という時間が気にならない。ずっとそこで一緒に時を過ごしたいと思ってしまいます。
スクリーンの中と外の境界がなくなる。そんな作品だと感じました。
ふたりの対話に引き込まれる
作品のなかでは、マリーと真理の対話が長く続きます。お互いの話に耳を傾け、言葉そのものではなく、その言葉の深いところにあるものを理解し合ったり気づき合ったり。
しかも、言葉はフランス語と日本語が混じり合う。ときにはマリーが日本語で真理がフランス語を話すときも。それがまったく違和感なく、自分の感情に合わせて無意識に言葉を選んでいるように感じました。
ふたりの対話から、「耳を傾ける」とは、「相手に寄り添う」とは、本質的にどういうことなのかを気づかされます。
境界をなくすことは難しい、それでも…
マリーと真理の対話のなかで、介護現場が抱える課題、さらには資本主義が抱える課題のはなしがでてきます。知らなかったケア手法「ユマニチュード」のことや、資本主義の構造の話は、とても興味深かったです。
でも、それがこの映画の核になるテーマではないようです。その先に「ユマニチュード」の是非も、資本主義の課題も深堀りされるわけではありません。
この映画は、介護現場や資本主義の構造の話を題材として、身近にあるさまざまな「境界」と、その「境界」を超えて互いに理解し合うためのヒントを与えてくれたように思います。
映画のなかには、さまざまな境界が描かれています。「ユマニチュード」を推進したい人とそうでない人、ケアする人とされる人、母語が同じ人と違う人、死を迎えようとする人と生き続ける人…
境界の向こう側にいる他者と、どう関係を持ち続けるのか。境界は固い壁ではなく、きっと自由に形が変わるものであって、乗り越えたり壊したりするんじゃなくて、ゆっくり溶かしていくもの。
運命のような偶然に身をゆだねたり、ちょっとした勇気で小さな一歩を踏み出したり。そんな積み重ねが境界を溶かし、世界を広げていく。
そんなイメージを思い描き、希望を感じることができました。
『急に具合が悪くなる』は不思議な感覚を体験できる映画でした。
映画を観たあと原作も読んだのですが、まったく違う話なのに、この映画の原作であることの納得感がありました。磯野真帆さんと宮野真生子さんの往復書簡という形の対話であり、真実の話。映画と同じように、耳を傾け寄り添うことがどういうことなのかが伝わってきます。

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